近所の桜は安堵色

 近所の土手沿いの桜が咲き誇っている。冴えないこの町の割にはやはり並に綺麗だけども、感嘆というよりとにかく安堵の思いがするのだった。ピンクの提灯や屋台の騒々しさと、陽光を受けて冬を脱出したよろこびを表さんばかりに鮮やかになっている雑草の緑と桜色のコントラスト。どこでも見受けられそうな景色だけど、そこはかとなくこの町っぽさが入り込んでいるのが不思議。
 小説だとこの景色を青山七恵さんが『ひとり日和』に描き込んでいる・・・と思ったら勘違い。主人公の知寿(ちず)は3月にこの場所を見て、一ヶ月後には桜が満開だろうと思っていたのだった。

 日曜、東京に向かう東上線は混んでいた。・・・(中略)・・・一両目の車両に乗り込み、運転席のすぐ後ろのガラス窓に顔をくっつけて、外の風景を眺めた。 ・・・(中略)・・・岸辺には、まだ茶色い枝を伸ばしただけの桜並木が細々と続いている。あと一ヶ月もすれば、花は満開になって、わたしはそれを満員電車の中から眺めるのだろう。腕時計をして、きちんとパンプスを履いて、黒いかばんを持って。(167頁)

 
知寿はこの眺めを電車の中から見ている。川を渡る線路の途中なのだ。この電車に乗っているという状態、ぼくは青山七恵さんにとって重要なモチーフなのではないかと睨んでいる。
 そもそもこの作品において鉄道が無視してはいけないことは自明じゃないかとの反論もあるだろう。知寿はキオスクで働くようになり、そこで出会い後に彼氏となる藤田くんは鉄道整理員だし。いやいや、一番重要なのは知寿が転がり込んでいる吟子さんの家は線路のすぐそばであることだ。だから、この物語において鉄道が重要なモチーフであることは誰の目にも明らかだ。
 でも、やっぱり言い添えておかなきゃいけないことは、鉄道は何よりも移動を伴うものであること。吟子さんの家だって線路から近いものの、すぐに電車に乗り込むことができないのが特徴だ。ここでこの作品における鉄道や移動のモチーフを分析することは避けたい。それよりも、愚直に、そのモチーフを作家本人の経験に帰してみたい。
 青山七恵さんは埼玉の出身だ。たしか熊谷のはず。ぼく自身が埼玉の住人であるから、自分の感情を青山さんに読み込もうとしている節もあるだろうが、やはり埼玉人にとって鉄道の経験というのは重い。大雑把に言ってしまえば、移動にものすごく時間がかかること――この経験がある種の時間感覚の形成に寄与しているのではないだろうか。さらには都内に住んでいる人間とのその経験の差というのはもっと意識されて然るべきだ(このへんはぼくの私的な感情も昂るポイント)。「郊外の経験」と言えるだろうか。そこにはそこはかとなく日本における階級の問題が潜んでいるような気もするし、さらには「マイルドヤンキー」などに代表される非都内の消費形態の分析において注目されてきている状態の一部でもあるだろう。ぼく自身も大学に入ると、「キャンパスまで時間がかかってしょうがない」と不満を漏らす良い家庭に生まれた同級生の通勤時間が自分の半分程度であったことに非常にショックを感じた。
 それはさておき、昨年の6月に作家ご本人にお会いする機会に恵まれたので、この鉄道の経験について実は聞いてみていたのだった。当たり前と言えばそうなのだが、本人にとってはそんな重要ではないそうだ。ま、こういう、本人が気づかずに書き込んでいるモチーフを拾っていくのが大事だよね、とか言っておくけれど、他の青山さんの作品でそんなに鉄道が重要なのあったかなあ・・・(移動ということで言えば、「かけら」は行き帰りのバスと帰りに父親と乗る電車があるけれども)。ちなみに『ひとり日和』で描いた某駅(一応隠しておく)は、青山さんのお友達が住んでいたのだそう。
 諸々の手続きをすっ飛ばして想像するに、『ひとり日和』の知寿とは「地図」でもあるのだろう。移動しながらたくさん考えを巡らして、行った先でいろんな経験を積むと自分自身の地図ができあがっている、そんな生きることの素晴らしさを主人公は味わっているのかも。
 
 とか書いているうちに、それはそれは強い風が桜を散し、その花びらが家の前に溜まり、また書き足しているうちにその溜まった花びらもどこかに消えてしまい、土手を見にいけばいくぶん緑が目立つ桜の木がそれでもまだ人を楽しませようと、人に向かって吹く風に花びらを乗せてみているのだった。
 

 と書いておいて投稿しないでいるうちに、八王子では雪が降るほどに東日本は冷え込む。うちの真上の空からはみぞれ。朝起きて雨の音が変なことに気づき、雨戸をあけてねむけ眼で外を見てみれば、雨にしては落ちるスピードが遅いし、なんだかダマが大きいことにパニックに陥って、肺に送られてくる空気のあまりの冷たさにやっと、ああこれは雪か、と把握。ニュースでやっていたように4月の雪は5年ぶり。思い出すよ、大学1年生の新歓帰りを。最寄り駅から、キャンパスライフに浮かれた足取りで雪を踏みしめて帰った。脳内で再生される映像はまさに雪に冷やされた空気しか醸し出せないあの凛とした暗さ。なんでその光景がしぶとく記憶に残っているかは分からないのが不思議。雪が降っている情景も見たはずなのに思い出せない。
 川上未映子さんの『魔法飛行』(中公文庫)を読んでいたら松任谷由実の「守ってあげたい」が言及されていて、久しく起動させていなかったiTunesで再生。すごく合う、この夜に、冷たいこの夜に。そんなこんなでこういう諸々のことがマッチングする瞬間のみを当てにして明日もがんばろうと元気を捻り出す。