『キャロル』、車内からの追憶の果てのブラックアウト

 『キャロル』(2015年)を観ていて、劇伴音楽のひとつがミニマリズム風だったのでふと『めぐり合う時間たち』(2002年)を憶い出す。『めぐり合う時間たち』ではフィリップ・グラスの音楽が使われていた(『キャロル』の方の音楽はカーター・バーウェル)。自分らしさや同性愛のテーマを扱った先行作品として言及しているかのようだ。*1 この映画の音楽はぼくが作品に没入できたひとつの理由だと思う(ミニマリズム風以外のも好き)。ちなみにグラスっぽさを感じたきっかけとなった曲はこれ。


Carol Soundtrack - 20 "The Times"

曲名に唸るばかり。というのは『めぐり合う時間たち』の原題がThe Hoursだから(もちろんこれは『めぐり合う時間たち』が参照項とするヴァージニア・ウルフMrs Dallowayに当初つけていたタイトル)。

 

 でも、それ以外でも、たとえばこの映画の優れた映像表現に強く惹きつけられた。そのどれもが、ひとりの人間が自分らしく生きようとする様や二人の人間の心が結びつく瞬間といった、人の生における尊さを描くことにつながっているように感じた。以下、ネタバレを含み、長いです。

 

■無人の車内からのショット

 劇中、車内から登場人物(あるいは登場人物が乗っているもの)を映したショットがいくつかあるのが気になった。誰かその光景を観ている人間がいるわけでもなく(つまり、主観ショットではない)、また三人称的な客観的映像としては不自然だ(車窓越しの必要性がない)。

 

 この〈無人の車内からのショット〉(もっと良い言い方はないものだろうか……)を理解するためにはこの映画の構造を確認する必要がある。この映画は大雑把に見取り図を描けば、【①レストランでのキャロルとテレーズの食事→②ふたりの出会いから離別まで→③レストランで二人は別れて別々の用事に向かったが、テレーズは抜け出してキャロルに誘われた会食に向かう】という、【①現在→②過去→③現在】という往還の時制になっている。〈無人の車内からのショット〉がこの②に含まれていること、そして①から②へと移行する際に車に乗ってるテレーズが車窓越しにキャロルを眺めていることの二点を見逃さなければ、この〈無人の車内からのショット〉が巧みな映像表現であることが諒解されよう。②自体は客観的な過去の再現(そこにはテレーズが目撃することのできない場面も含まれている)となっているが、この無人の車内からのショットが挿み込まれることによって、テレーズの主観性が画面に滲むのである。すなわち、①において車からキャロルを眺め、過去を想起し始めるテレーズの情動がそのシーンには顕現しているのだ。ここではそのシーンごとの情動の中身を問わないこととしよう。

 

 それとこの車内関連ですごく巧みに時間と空間をつないだ編集があったはずなんだけど、失念した。悔しい。

 

■視線と鏡

 この映画のフライヤーには視線に注目した賛辞が散見される。表現を抜き出すならば、以下の4つ(29人中だからそんなに多くもないか)。

 

「視線の交わしあい」(蓮實重彦

「「視線」がすべてを物語る」(映画.com編集部)

「からみあう視線」(余貴美子

「二人の目の演技」(ELLE コンテンツ部編集長 坂井佳奈子)

 

たしかに、ふたりが初めて出会うシーンをはじめとして、ふたりの視線は重要。だけども個人的には映画における視線の交差には食傷気味というのもあり、またこの作品で気に入ったシーンはもう一手間かかっていると思ったので、ここで少々書く。

 

 ぼくが美しいと感じたシーンのひとつはベッドシーンの前の鏡台の前に位置するふたりを映したもの。鏡台に座るテレーズに背後からキャロルが近づき、肩に手を置く(この手を肩に置くという動作というかボディタッチがところどころでテレーズをドキっとさせていることについては後に触れる)。ここでテレーズは「年越しはいつも独りだったけど、今年は違う」と言うーー鏡越しにキャロルと視線を交わしながら。この会話がきっかけで(もうちょっと言葉を重ねてたっけ?)、キャロルはテレーズにはじめてキスをし、そのままベッドシーンに移る。おそらくは直接に視線を交わしたのではそうはならなかったとぼくは思う。鏡越しだと照れや恥じらいが邪魔をしないというか。鏡の存在がシーンをロマンチックにすると同時に、リアルさを醸し出している。

 

 ただし、この美しさは残酷さも伴っていることが後で判る。鏡の前に位置する二人の女性ーーその構図はキャロルが娘の髪を整えるシーンと対応している。作品終盤において、キャロルは自分らしくいることを選び、娘の親権を父親に譲るのであるから、この鏡台前の対応が強調するのはテレーズと結びつくことが娘を失うということである。じっさい、テレーズと体の関係になったのを夫が雇った探偵(?)が盗聴・録音し、それが親権争いの際に不利な証拠(=同性愛の性向が娘に悪影響を及ぼすという意見を司法が認めている)となるのであるから、テレーズと娘が二者択一であるのは容易に諒解されよう。

 同様に視線と鏡にさえぼうさん(@saebou)が言及しているのをタイムラインで見かけた。

「映るもの」で言えば、テレーズとキャロルが中にいる車のフロントガラスに映り込む空の雲の動きが良い。

 

■最後のブラックアウト

 さて、その娘を失う決め手となったテレーズとキャロルのベッドシーン。こうした官能的なシーンに対する感受性の乏しいぼくはカメラの動きが良いという感想ぐらいしか持つことはできない(「すごく良かった」という稚拙な感想に加えてという意味で)のだが(首もとの香水を嗅ぐシーンも「すごく良かった」)、ひとつだけ見逃せないポイントがあった。それはこのシーンのフェードアウト。あえぎの音声をフェードアウトさせてブラックアウトさせる様は正直に言って少し滑稽にも思えた。それまでがついに結びついたふたりの幸福に満ちたシーンであっただけに。

 だけども、結末に至ればその意図は分かった。パーティーを抜け出してキャロルが誘っていた会食に到着したテレーズ。テレーズとキャロルの視線が交わり、キャロルが笑みを浮かべる(この笑い方がまたすごくよい)のだが、ここでブラックアウトするのを見逃してはいけない。このブラックアウトによってラストショットとベッドシーンは文字通り(映像通り)結びつき、この視線の交叉がふたりの愛の確認であることが観客に示されるのである。

 

■マニキュアの有無

 同様に反復が巧みに使われた細部としてはマニキュアの有無がある(これはすごく分かりやすいし、公式サイトをのぞくとネイルサロンとのタイアップがある!)。キャロルの綺麗なマニキュアにテレーズが魅了されているようなシーンがいくつかあり、それは肩に手を置くボディタッチとの重ね技なので、ふたりのセクシュアリティと緩やかにつながっているモチーフだ。見逃してはならないのは、ホテルにテレーズを置き去りにし、しばらく連絡を取らないことを求めたキャロルがマニキュアを外していること。テレーズは自宅に帰った後、言いつけに従わずにキャロルに電話をかけてしまう。電話に出たキャロルは相手がテレーズだと分かり応答をしない。後ほど分かるが、その際のキャロルは夫側(夫の両親を含む)に精神療法による同性愛の「治療」を強要されている(両親が「医者」と呼ぶのに対して、キャロルは「精神療法士」と呼び続けるところで抵抗が表現されている)。そんなキャロルのマニキュアなき指先を、電話のシーンは映し出すのだ。そして映画の最初と最後の現在時制において、テレーズと再会したキャロルの指先にはマニキュアが塗られている。

 

■オープニングのショット

 オープニングショットは地面、というか側溝の蓋っぽいもの。波打っている格子状のもの。キャロルがテレーズの美に対して「天から落ちた人」と言ってることに連関したショットだろうか。カメラが動いてなかなか登場人物を把握できないところでちょっと前に観たダグラス・サークの『天はすべて許し給う』(1955年)を憶い出した。メロドラマをこれから描くという宣言として受け取れる。もちろん家庭を捨てて、恋人を取るという点でも重なるが、それは恋愛モノだから割とかぶるか。だいたい『天は〜』の方の家族は捨てても構わないように最終的には描かれているし(笑)

 そういえば、舞台設定は1950年代ニューヨークだけども、作品内では時代に一切言及しない姿勢は高く評価したい。言うまでもなく、普遍への意志として受け取れる。

 

 最近、映画を観るたびに「尊い」の一言で片付けてしまいがちなので、今回長文をしたためた。記憶のみを頼りに書いたので、事実誤認がないかだけ心配。

 

 配給会社を同じくする(ファントム・フィルムさん)映画『蜜にあわれ』についても小文を書いておりますので、どうぞ。→

東京国際文芸フェスティバル - スクリーンについさっきまで映っていた人物が、目の前に現れたらどれだけ胸が高鳴るだろう... | Facebook

 

追記:ツイートを引用したさえぼうさんが『キャロル』についてご自身のブログでも投稿なさっていた。マニキュアの部分、被ってしまったのだけど、夫のもとでのキャロルは「ツメの手入れをきちんとしていない」とし、「キャロルの生きるやる気の度合いが、ツメの手入れで表現されている」とのさえぼうさんの読みが正しいと思う。女性のおしゃれをわかっていないのがバレてしまった。→ 

画面の全てが女の心を映す〜『キャロル』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus

*1:サウンドトラックにおけるグラスっぽさはCarol | Film reviews, news & interviews | The Arts Deskでも言及されている。